リレーエッセーその45

亡き祖父を思う

坂東香菜子



 数年前の春、脚付きの将棋盤と黄楊駒が自宅に届きました。広島に住む祖父が東北旅行の最終日、急に思い立って宿からタクシーを走らせて天童へ向かい、宅配便で送ってくれたのです。朝な夕な眺めて喜んでいたのに、ある朝ふと見ると盤の側面に前日まではなかった深い亀裂がはいっていました。

 宅配便の荷札を頼りに販売店に連絡して取り替えてはもらったものの、
 「たくさんの中から一番木目の綺麗なのを選んだつもりだよ」
 とうれしそうに語っていた高齢の祖父に、
 「あの盤、ヒビがはいったから別のと取り替えてもらったの」
 とは言えませんでした。

 その祖父が「食欲がない、体が重い」と不調を訴え始めたのは、それから数ヵ月後だったでしょうか。けれど何軒病院を変えても、
 「異常ありません。運動を心がけて栄養を十分摂ってください」
 と同じ診断。始めは心配していた家族も、体調不良を理由にわがままばかり言う祖父を次第に疎ましく思うようになったそうです。

 私も祖母からそんな祖父の様子を聞いて「老人にも拒食症ってあるのかしら」くらいに考え「夏バテかもね。果物やアイスクリームばっかりじゃダメ。お肉やお野菜もしっかり食べて、おばあちゃんを困らせないでよ」などと手紙や電話で伝え続けたものです。
 ところがその後病気が判明し、祖父はあっけなく亡くなってしまいました。

 祖父の書斎には入院前に書かれた親族や友人宛の遺書が残っていましたが、私宛のものだけは何故か別れの言葉ではなく、
 「必ずもう一度元気になるから。そのときには舞台の上でピアノを弾く香菜子や、道場で将棋を指す香菜子を見に行くよ」
 という前向きな内容でした。
 その後、女流棋士に昇級した私に、もう一通「天国のおじいちゃんより」と書かれたお祝いの手紙が届きました。こちらは「香菜子がプロになれたら送ってほしい」と祖父が伯父に託していたのです。

 死を覚悟するほどの苦痛を医師にも家族にも理解されず、祖父はどんな思いでこれらの手紙を書いたのでしょう。たった一人っきりの孫である私の、思いやりのない言葉をどんな思いで聞いていたのでしょう。そのことを考えると今でも涙が溢れてきます。いたわりの言葉をかけることも、女流棋士になった私を見てもらうこともできませんでした。形見のような、形見ではないような盤に向かって、日々精進することが供養になればと思うばかりです。

 幼い日の私に、母の目を盗んではチョコレートやキャンディを存分に食べさせてくれた祖父は「慈愛」、そして「慟哭」という言葉の意味を私の心にしっかりと刻んで逝きました。祖父の最後の旅行先が「天童」だったことも奇遇ですが、もうひとつ、「善治」という名前であったことにも不思議な縁(えにし)を感じます。


 個人的な思い出話に最後までお付き合いいただき、有難うございました。

 次回は、スランプに悩んでいた私を将棋部の活動に誘って将棋の楽しさを思い出させて下さった、早稲田大学将棋部主将・高木啓さんにお願いします。



(次回は高木啓さんにバトンタッチ)